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無一物中 無尽蔵-
サンシャインシティではクリスマスローズの世界展が行われている。
今年も色んな方にクリスマスローズの良さを見て感じてもらい心を和ませてその日を充実してもらえているようです。
私が育てた子もいくつか届けさせて頂いてます☆☆☆
白い八重咲のクリスマスローズ。
この花が今年の私の心にとてもよく響いた。

もう感動の少なくなってしまった花形ではるが、どこか原点を感じる。
余計な欲のない表情は私達が普段あるべき心の持ちようを教えてくれているようで、
素直に綺麗だと出荷中に見入ってしまい、
出荷する事無く、親友のブリーダーにその時の喜びを伝えたくなり贈った。
無一物中 無尽蔵
店頭の方と会話を持つと色んな事を感じる。
売れる花、それだけを追い続ける苦しみにブリーダーの親友は直面している。
綺麗事だけでは、商売は成り立たない。
そこに花の心や表情は求められない。
そんな声は仕方ない事。
春になると、鯉のぼりがあがる。
大空を悠然と泳いでいる鯉は私たちが、逆風に向かって人生を歩む姿を表しているそうだ。
風の吹くまま泳ぐ姿はこの四苦八苦の世の中において、こだわりや執着を捨て、人生を歩む様子を表している。
どんなことがあっても捉えて離さないのは『信じる』という一点、鯉が柱と結ばれている一点。
この『信じ貫く』という一点がなければ、鯉はどこに流されていくか分からない。
そして、鯉の腹の中はというと、そこには何もない。
私達は花から感じる感動と感謝を持ちつつ、カラリとした真っ新な心で植物達と向き合う事で、花の新しい可能性が見つけれるのかもしれない。
大切なのは『その花が好きかどうか』『その花の良さを知っているかどうか』。
これからそこが求められてくるような。
素直に向き合い、素直に表現する。
それをこだわりと言う人もいれば、こり過ぎだという人もいるが、
鯉のぼりのように、腹の中に何もなければ素直という表現になると想う。
白い八重咲のクリスマスローズを見て、もう一度、クリスマスローズの良さを感じてもらえたら。
私にできることは、一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に喜ぶことだけ。
自分達は魅せられた感動を表現して伝えるスタイルを少しずつでいいのでやいって行きたい。
そう想う。
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↓



サンシャインシティではクリスマスローズの世界展が行われている。
今年も色んな方にクリスマスローズの良さを見て感じてもらい心を和ませてその日を充実してもらえているようです。
私が育てた子もいくつか届けさせて頂いてます☆☆☆
白い八重咲のクリスマスローズ。
この花が今年の私の心にとてもよく響いた。

もう感動の少なくなってしまった花形ではるが、どこか原点を感じる。
余計な欲のない表情は私達が普段あるべき心の持ちようを教えてくれているようで、
素直に綺麗だと出荷中に見入ってしまい、
出荷する事無く、親友のブリーダーにその時の喜びを伝えたくなり贈った。
無一物中 無尽蔵
店頭の方と会話を持つと色んな事を感じる。
売れる花、それだけを追い続ける苦しみにブリーダーの親友は直面している。
綺麗事だけでは、商売は成り立たない。
そこに花の心や表情は求められない。
そんな声は仕方ない事。
春になると、鯉のぼりがあがる。
大空を悠然と泳いでいる鯉は私たちが、逆風に向かって人生を歩む姿を表しているそうだ。
風の吹くまま泳ぐ姿はこの四苦八苦の世の中において、こだわりや執着を捨て、人生を歩む様子を表している。
どんなことがあっても捉えて離さないのは『信じる』という一点、鯉が柱と結ばれている一点。
この『信じ貫く』という一点がなければ、鯉はどこに流されていくか分からない。
そして、鯉の腹の中はというと、そこには何もない。
私達は花から感じる感動と感謝を持ちつつ、カラリとした真っ新な心で植物達と向き合う事で、花の新しい可能性が見つけれるのかもしれない。
大切なのは『その花が好きかどうか』『その花の良さを知っているかどうか』。
これからそこが求められてくるような。
素直に向き合い、素直に表現する。
それをこだわりと言う人もいれば、こり過ぎだという人もいるが、
鯉のぼりのように、腹の中に何もなければ素直という表現になると想う。
白い八重咲のクリスマスローズを見て、もう一度、クリスマスローズの良さを感じてもらえたら。
私にできることは、一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に喜ぶことだけ。
自分達は魅せられた感動を表現して伝えるスタイルを少しずつでいいのでやいって行きたい。
そう想う。
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周りあっての自分-
毎日のように手伝いに来てくれる仲間。
仲間が仲間を連れて来てくれる。
言葉にならない。
一人ではないことに、これ以上の嬉しさを感じる事があるだろうか。
友達はいらない
中学の頃の自分は友達はいらないと言い切っていた。
野球でも自分がしっかりと投げれば勝てる、そう想っていた。
自分が上手くなることだけを考えていた。
ある試合であと一つのアウトでノーヒットノーランだった試合がある。
その日は両チーム併せて私が打ったヒットの2本だけ。
内1本はオーバーフェンス。
1-0で勝っていた。
…あと1アウトまでは。
仲間も相手もノーヒットノーランを知っており、
自分以外が緊張感に包まれていたのを覚えている。
チームメイトの誰もが自分のところへ打球が飛んで来ないことを祈っていたのだろう。
エラーでランナーが一人。
そして次の打者が振り遅れのライト前ヒット。
…
ライトが後逸。
ボールがフェンスへ転々とする間に2者生還でサヨナラ負け。
自力の小ささと他力の大きさ
野球は一人でできないスポーツと教えられた瞬間。
自分の力ではどうしようもない、まさに他力を実感した。
当時の自分はライトの選手を責めた。
『何やっとんのや、てめぇ』
今想えば、当時の自分はノーヒットノーランができなくて当然だっただろう。
仲間をコマのように観ていた。
『エラーすんなよ!!!』
そんな投手がいたら、委縮するのは当たり前。
だから、自分が招いたライトのエラーだった。
当時の自分がこいつを勝たせてやりたい。
そう想われるような投手だったら、ノーヒットノーランはおろか、
もっと数多くの勝ちを経験できたであろう。
もっと数多くの進路があっただろう。
人が人を支える
高校進学後、あたかもそれを実感させるためのように運命が暗くなり、運動ができない身体に…。
そこから数多くの悪夢を見て、そして屈辱感に包まれることになった。
しかしながら、そこで見えてきたものは、毎日の通院生活を支えてくれる両親の姿だった。
自分よりも息子の身体。
人が人を支える。
まさに、【人】という字が意味するところを教えられた。
人としての生き方を学んだ。
自分が誰かを支えるような生き方をしてきただろうか、
そのことも自問自答させられるような感じすらした。
それを知って以来、自分のために生きようという生き方は捨てた。
そうする事で自分から周りの輪に入る事を戸惑うことはなくなり、仲間と楽しめる瞬間が増えた。
一緒にいる人たちが、
こいつといると何かええな、そう想ってもらえればそれが自分の幸せ。
それがスタイルとなった。
自然と。
起きている事は自分が播いてきた原因と結果
持病の腰痛から想うように身体は動かないために、
眼で笑う仲間もいた。
口で侮辱や軽蔑する仲間もいた。
でも、それは自分がしてきたこと。
観える環境は自分だと想えば、自然と耐えられた。
大学時代、青春時代がない自分はそれを求めるために我武者羅にノックを受けていた。
すると仲間が一人二人…気が付けば、同級生全員がノックを受けていた。
倒れるまでノックを受け続けていても誰もやめようとしない。
後で聞いて知ったのだが、
『お前がやめるまではやめるつもりはなかった』
国体選手だったエースの先輩も
『お前がキャッチャーやと燃えてくる』
『お前のリードが気持ち良くなってきた』
そう言いながら、今まで来なかった練習に休むことなく来るようになった。
大学時代の卒業論文でも、
毎日研究室にこもっていたが、
『お前がやっとるなら手伝うよ』
そう言って毎日終電の時間まで手伝ってくれる仲間がいた、毎日。
全てはノーヒットノーラン寸前の結果から得たものかもしれない
もう右眼は完全にボヤけてしまった。
あと少し、あと少しもってほしい。
親友に会いに行く時間と…とても大切に想う人の誕生日祝いまでは何とかもってほしい。
改めて感じている、眼が観えなくなって改めて。
自分の力だけでは何も達成できない。
仲間の大切さ。
自分は生かされているのだと…
そう想う。
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毎日のように手伝いに来てくれる仲間。
仲間が仲間を連れて来てくれる。
言葉にならない。
一人ではないことに、これ以上の嬉しさを感じる事があるだろうか。
友達はいらない
中学の頃の自分は友達はいらないと言い切っていた。
野球でも自分がしっかりと投げれば勝てる、そう想っていた。
自分が上手くなることだけを考えていた。
ある試合であと一つのアウトでノーヒットノーランだった試合がある。
その日は両チーム併せて私が打ったヒットの2本だけ。
内1本はオーバーフェンス。
1-0で勝っていた。
…あと1アウトまでは。
仲間も相手もノーヒットノーランを知っており、
自分以外が緊張感に包まれていたのを覚えている。
チームメイトの誰もが自分のところへ打球が飛んで来ないことを祈っていたのだろう。
エラーでランナーが一人。
そして次の打者が振り遅れのライト前ヒット。
…
ライトが後逸。
ボールがフェンスへ転々とする間に2者生還でサヨナラ負け。
自力の小ささと他力の大きさ
野球は一人でできないスポーツと教えられた瞬間。
自分の力ではどうしようもない、まさに他力を実感した。
当時の自分はライトの選手を責めた。
『何やっとんのや、てめぇ』
今想えば、当時の自分はノーヒットノーランができなくて当然だっただろう。
仲間をコマのように観ていた。
『エラーすんなよ!!!』
そんな投手がいたら、委縮するのは当たり前。
だから、自分が招いたライトのエラーだった。
当時の自分がこいつを勝たせてやりたい。
そう想われるような投手だったら、ノーヒットノーランはおろか、
もっと数多くの勝ちを経験できたであろう。
もっと数多くの進路があっただろう。
人が人を支える
高校進学後、あたかもそれを実感させるためのように運命が暗くなり、運動ができない身体に…。
そこから数多くの悪夢を見て、そして屈辱感に包まれることになった。
しかしながら、そこで見えてきたものは、毎日の通院生活を支えてくれる両親の姿だった。
自分よりも息子の身体。
人が人を支える。
まさに、【人】という字が意味するところを教えられた。
人としての生き方を学んだ。
自分が誰かを支えるような生き方をしてきただろうか、
そのことも自問自答させられるような感じすらした。
それを知って以来、自分のために生きようという生き方は捨てた。
そうする事で自分から周りの輪に入る事を戸惑うことはなくなり、仲間と楽しめる瞬間が増えた。
一緒にいる人たちが、
こいつといると何かええな、そう想ってもらえればそれが自分の幸せ。
それがスタイルとなった。
自然と。
起きている事は自分が播いてきた原因と結果
持病の腰痛から想うように身体は動かないために、
眼で笑う仲間もいた。
口で侮辱や軽蔑する仲間もいた。
でも、それは自分がしてきたこと。
観える環境は自分だと想えば、自然と耐えられた。
大学時代、青春時代がない自分はそれを求めるために我武者羅にノックを受けていた。
すると仲間が一人二人…気が付けば、同級生全員がノックを受けていた。
倒れるまでノックを受け続けていても誰もやめようとしない。
後で聞いて知ったのだが、
『お前がやめるまではやめるつもりはなかった』
国体選手だったエースの先輩も
『お前がキャッチャーやと燃えてくる』
『お前のリードが気持ち良くなってきた』
そう言いながら、今まで来なかった練習に休むことなく来るようになった。
大学時代の卒業論文でも、
毎日研究室にこもっていたが、
『お前がやっとるなら手伝うよ』
そう言って毎日終電の時間まで手伝ってくれる仲間がいた、毎日。
全てはノーヒットノーラン寸前の結果から得たものかもしれない
もう右眼は完全にボヤけてしまった。
あと少し、あと少しもってほしい。
親友に会いに行く時間と…とても大切に想う人の誕生日祝いまでは何とかもってほしい。
改めて感じている、眼が観えなくなって改めて。
自分の力だけでは何も達成できない。
仲間の大切さ。
自分は生かされているのだと…
そう想う。
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運命-
『全てが運命だったのだ 目がみえぬかわりに心が開いた
全てが手にとるようにわかるようになった これも仁星・・・ 未来への希望に生きる宿命!』
北斗の拳 シュウのセリフ
我武者羅に素振りを続けた。
友人の整体師から運動禁止を受けて以来、我慢してきた素振りを疲れるまで無心で続けた。
野球がやりたい。
目が見えなくなってしまった。
病名は黄斑前膜偽黄斑円孔。
手術をしても完治は望めない。
腰をヘルニアになっても続けてきた。
両足首の靭帯を4か所損傷し変形しても続けてきた。
右肩にボルトを埋めて込んでも続けてきた。
首をヘルニアになっても…
それでも遊び程度なら続けてこれた、野球もできなくなった。
日に日に見えなくなるのが、感覚的に分かる…。
クリスマスローズの出荷がピークに入ったにも関わらず、
目の疾患のお蔭でお客さまにご迷惑をお掛けしております。
大変申し訳ありません。
手術の日程は未定ですが、出来る限りご迷惑をお掛けしないよう努力致します。
選別ランク等の間違いなどがあれば、ご連絡下さい。
今、自分の中では落ち着いています。
むしろ、人とは違う人生を歩めていると想っている。
右目が見えなくとも、左目は見える。
人より見辛くなった分、心の目が見えるようになった。
某園芸店のスタッフの方からの言葉がとても嬉しく響いている。
『鈴木君から出荷されてきた箱は宝箱☆』
よく選らんでくれているのが、よく分かる☆』
だから、いつも開けるのが楽しみ☆』
通常、花を出荷する際、目で見た感覚(花の顔や素質、遺伝子のレベルなど)で選んでいた。
しかし、今の自分にはそれが容易ではない。
左目と植物が発する魅力を心の目で選別するようにしている。
仕事のスピードは今までとは比べものにならないくらい、時間がかかってしまう。
しかしながら、今の新しい感覚を磨くことができれば、
もっともっとたくさんの方に喜んでもらえるかもしれない。
本当に説明ができない感覚ではあるが、
片目を失ったからこそのもの。
運命というものに翻弄され、その都度、心のやりどころを探してきただけに、
今回は以前の時ほどのとまどいはない。
むしろ、他の人とは違う人生を歩ませてもらっていると想えている。
目が見えなくとも、できる。
やってみせる。
自分の背中がハンデを負っている方達の励みになるかもしれない。
もしかすると、それが私の生まれてきた使命なのかもしれい。
仏様がやってみろと、敢えて、用意してくれた人生の壁なのかもしれない。
今年は体を治して、野球に復帰したかった。
理由は中学の恩師への恩返し。
教頭先生として、母校へ戻ってきておられる。
高校進学時には何度も両親を説得して、私の進路を強く進めてくれた。
それにも関わらず、結果を出せずにいた。
クラブチームで野球をしていた時も時間を作れば、会いに行き、練習を手伝うこともできた。
それを怠けていたあの頃の自分を悔いている。
母校の中学生の練習にバッティングピッチャーをしてあげたいと想っていたのに…。
それでも野球の魅力は伝えられる。
今年こそ恩返しに行きたい。
見えなくなったからこそ、見えるものが増えた。
見えなくなったからこそ、人のために生きたい。
そう想う。
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『全てが運命だったのだ 目がみえぬかわりに心が開いた
全てが手にとるようにわかるようになった これも仁星・・・ 未来への希望に生きる宿命!』
北斗の拳 シュウのセリフ
我武者羅に素振りを続けた。
友人の整体師から運動禁止を受けて以来、我慢してきた素振りを疲れるまで無心で続けた。
野球がやりたい。
目が見えなくなってしまった。
病名は黄斑前膜偽黄斑円孔。
手術をしても完治は望めない。
腰をヘルニアになっても続けてきた。
両足首の靭帯を4か所損傷し変形しても続けてきた。
右肩にボルトを埋めて込んでも続けてきた。
首をヘルニアになっても…
それでも遊び程度なら続けてこれた、野球もできなくなった。
日に日に見えなくなるのが、感覚的に分かる…。
クリスマスローズの出荷がピークに入ったにも関わらず、
目の疾患のお蔭でお客さまにご迷惑をお掛けしております。
大変申し訳ありません。
手術の日程は未定ですが、出来る限りご迷惑をお掛けしないよう努力致します。
選別ランク等の間違いなどがあれば、ご連絡下さい。
今、自分の中では落ち着いています。
むしろ、人とは違う人生を歩めていると想っている。
右目が見えなくとも、左目は見える。
人より見辛くなった分、心の目が見えるようになった。
某園芸店のスタッフの方からの言葉がとても嬉しく響いている。
『鈴木君から出荷されてきた箱は宝箱☆』
よく選らんでくれているのが、よく分かる☆』
だから、いつも開けるのが楽しみ☆』
通常、花を出荷する際、目で見た感覚(花の顔や素質、遺伝子のレベルなど)で選んでいた。
しかし、今の自分にはそれが容易ではない。
左目と植物が発する魅力を心の目で選別するようにしている。
仕事のスピードは今までとは比べものにならないくらい、時間がかかってしまう。
しかしながら、今の新しい感覚を磨くことができれば、
もっともっとたくさんの方に喜んでもらえるかもしれない。
本当に説明ができない感覚ではあるが、
片目を失ったからこそのもの。
運命というものに翻弄され、その都度、心のやりどころを探してきただけに、
今回は以前の時ほどのとまどいはない。
むしろ、他の人とは違う人生を歩ませてもらっていると想えている。
目が見えなくとも、できる。
やってみせる。
自分の背中がハンデを負っている方達の励みになるかもしれない。
もしかすると、それが私の生まれてきた使命なのかもしれい。
仏様がやってみろと、敢えて、用意してくれた人生の壁なのかもしれない。
今年は体を治して、野球に復帰したかった。
理由は中学の恩師への恩返し。
教頭先生として、母校へ戻ってきておられる。
高校進学時には何度も両親を説得して、私の進路を強く進めてくれた。
それにも関わらず、結果を出せずにいた。
クラブチームで野球をしていた時も時間を作れば、会いに行き、練習を手伝うこともできた。
それを怠けていたあの頃の自分を悔いている。
母校の中学生の練習にバッティングピッチャーをしてあげたいと想っていたのに…。
それでも野球の魅力は伝えられる。
今年こそ恩返しに行きたい。
見えなくなったからこそ、見えるものが増えた。
見えなくなったからこそ、人のために生きたい。
そう想う。
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一年-
義
今年大切にしたい言葉。
我に美しいと書く義という文字。
自分の創る花は家族と想っている。
でも、なかなかその想いを日常生活で貫くことは難しい。
だからこそ、今年一年の決意として選んでみた。
両親が私を育ててくれたように、
花を育てたい。
多分、私は物凄く幸せなんだろう。
幸せ…
もっと楽な仕事はいくらでもある。
大切なのは生まれてきた使命があるなら、それに気づいて、全うする事。
両親がいて、祖父母からは兄弟の中で最も可愛がられ、自分の歩きたい道を見つけられる。
華々しい生き方はできていないと葛藤はあるけれど、人間としての幸せを感じられている事に感謝しなければならない。
だからこそ、自分の故郷である家や仕事場を大切にしたい。
生きるためにと自分勝手に生きることは考え難いし、そこの価値観だけはブレたくない。
祖父から始まったこの仕事。
姿は違えど、そこで出会える植物達の魂は自分にとっては家族。
これだけの大家族で生活ができる。
こんな幸せはない。
義を見てせざるは勇無きなり
そうあれる一年にしたい。
そう想う。
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義
今年大切にしたい言葉。
我に美しいと書く義という文字。
自分の創る花は家族と想っている。
でも、なかなかその想いを日常生活で貫くことは難しい。
だからこそ、今年一年の決意として選んでみた。
両親が私を育ててくれたように、
花を育てたい。
多分、私は物凄く幸せなんだろう。
幸せ…
もっと楽な仕事はいくらでもある。
大切なのは生まれてきた使命があるなら、それに気づいて、全うする事。
両親がいて、祖父母からは兄弟の中で最も可愛がられ、自分の歩きたい道を見つけられる。
華々しい生き方はできていないと葛藤はあるけれど、人間としての幸せを感じられている事に感謝しなければならない。
だからこそ、自分の故郷である家や仕事場を大切にしたい。
生きるためにと自分勝手に生きることは考え難いし、そこの価値観だけはブレたくない。
祖父から始まったこの仕事。
姿は違えど、そこで出会える植物達の魂は自分にとっては家族。
これだけの大家族で生活ができる。
こんな幸せはない。
義を見てせざるは勇無きなり
そうあれる一年にしたい。
そう想う。
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↓



自分が求める応えとは-
あと、2日で31歳も終わろうとしている。
今年は新しい扉を見つけることができた。
そう感じる1年だったように想える。
目に見えないものに真実がある
どうやったら相手に一番喜んでもらえるのか。
それを追い求めて形にするのが自分の歩き方だったはず…
はず…
それを追求することを一番にできなかった。
できなくなっていた。
社長業と職人業。
お金の見え方がことなる立ち位置に苦しんできたここ3年。
それでも続けることができたこともある。
続けれたことに自信を持つのではなく、続けれることができた自分を支えてくれた方々に感謝をしたい。
野球人としての挫折
自分の歩き方のスタイルはある時期を境に大きく変わったと想っている。
今もまだ野球に対する未練が絶えない。
心も体も明らかに求めている。
高校に入るまで唯一、想い通りを感じ続けていた世界。
人並みの努力をすれば、あるいは努力しなくても、人並み以上にできていた。
できない人の苦しみや悩みなど想像もできなかった。
できないことを色眼鏡で軽蔑していた。
高校での自分の体は信じられないくらい別人。
頭で描いたように体が動かない。
人生で初めて運動ができない身体に…。
野球人として生きていきたい、野球漬けの生活がしたい。
そう想って進学した自分にとって、人生が終わったと感じた瞬間だった。
人のために生きよう
暗闇の中で見つけた生き方。
そこで観つけた歩きからが今に繋がってきている。
それにも関わらず、つい最近の自分はそれができていなかった。
社長である以上は数字を追う必要がでてくる。
しかしながら、私達の世界は理屈や計算で必ずしも答えを得られるようなものではない。
ましてや、私のスタイルは自分の心を花の形として表現するもの。
想い通りにならない。
世の中、皆そう。
それでも自分が中心。
…。
もう一度、自分の原点に戻ってみよう。
人のために生きる。
花を買ってくださる方々の『ありがとう』のために。
自分を支えて下さる周りの方々の『喜び』のために。
自分の心を尽くしたい。
そうすることで他人の喜びが自分の喜びになって返ってくるような。
そんな目に見えないものに【応え】があるような。
そんな生き方ができるような一年にしたい。
そう想う。
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あと、2日で31歳も終わろうとしている。
今年は新しい扉を見つけることができた。
そう感じる1年だったように想える。
目に見えないものに真実がある
どうやったら相手に一番喜んでもらえるのか。
それを追い求めて形にするのが自分の歩き方だったはず…
はず…
それを追求することを一番にできなかった。
できなくなっていた。
社長業と職人業。
お金の見え方がことなる立ち位置に苦しんできたここ3年。
それでも続けることができたこともある。
続けれたことに自信を持つのではなく、続けれることができた自分を支えてくれた方々に感謝をしたい。
野球人としての挫折
自分の歩き方のスタイルはある時期を境に大きく変わったと想っている。
今もまだ野球に対する未練が絶えない。
心も体も明らかに求めている。
高校に入るまで唯一、想い通りを感じ続けていた世界。
人並みの努力をすれば、あるいは努力しなくても、人並み以上にできていた。
できない人の苦しみや悩みなど想像もできなかった。
できないことを色眼鏡で軽蔑していた。
高校での自分の体は信じられないくらい別人。
頭で描いたように体が動かない。
人生で初めて運動ができない身体に…。
野球人として生きていきたい、野球漬けの生活がしたい。
そう想って進学した自分にとって、人生が終わったと感じた瞬間だった。
人のために生きよう
暗闇の中で見つけた生き方。
そこで観つけた歩きからが今に繋がってきている。
それにも関わらず、つい最近の自分はそれができていなかった。
社長である以上は数字を追う必要がでてくる。
しかしながら、私達の世界は理屈や計算で必ずしも答えを得られるようなものではない。
ましてや、私のスタイルは自分の心を花の形として表現するもの。
想い通りにならない。
世の中、皆そう。
それでも自分が中心。
…。
もう一度、自分の原点に戻ってみよう。
人のために生きる。
花を買ってくださる方々の『ありがとう』のために。
自分を支えて下さる周りの方々の『喜び』のために。
自分の心を尽くしたい。
そうすることで他人の喜びが自分の喜びになって返ってくるような。
そんな目に見えないものに【応え】があるような。
そんな生き方ができるような一年にしたい。
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